努力する意味:異なる視点で見る可能性

性格は変わらなくても態度は変えられる。

見た目は変わらなくても言葉遣いは変えられる。

収入は変わらなくても生き方は変えられる。

事実はかわらなくても受け止め方は変えられる。

相手は変わらなくても自分は変えられる。

変えられないものより変えられるものに目を向ければ

今よりも前に進める。

努力は実るとか報われるとか結果につながるというのは

努力しない自分と比べて成長したかどうかということ。

結婚できた、仕事が評価された、友人・仲間に恵まれてる。

地位・名誉・年収があるという、俗に言われる

成功とはまた違ったものである。

発達障害人は人の3倍努力しても成功しない。

しかし、非常にスピードは遅いが成長することはできる。

そこにしか、活路はない。

探し求める孤独からの居場所

罪悪感・義務感・使命感から逃れられない。罪業妄想

お金がないと絶望的になる。貧困妄想。

常に心身に不安を抱えている。心気妄想。

安心安全な居場所を探してさまよっても見つからず。

人を探せど見つからず。依存先が欲しいとまではいかないが、

ゆっくりできる居場所が欲しかった。

いつからか、どこからかはわからないが

めちゃくちゃ努力したわけではないが、

それなりに頑張ってきたつもりだ。

必要とされず、相手にもされない。

それは自分がそのように他人を扱ってきたからだ。

報いでもある。

何にせよ、発達障害である以上努力の効果は他人の十分の一

辛さは十倍である。

寄り添い助け合うことができればいいが

発達障害の性質上そこにも期待できず、

逆になる。

本当に、普通の幸せも得られないのなら

違う幸せを見つけるしかないが、

それもわからない。

孤独が好きなのではない、

傷つけられるのが怖いのだ。

孤独と信念:評価のない奮闘

個人の利益さえ獲得すればいいから

誰かと分かち合う必要もない

他人を思いやる必要もない

近くで誰かが苦しんでいる事実より

手近な享楽、保身をとる

自分い関係がないからといって

共感もなければ同情すらしない

罪悪感もない

奉仕を受けてもお返しもせず感謝すらしない

一方的にやてもらうのが当たり前と思っている

いつも自分を最優先して愛してくれると思っている。

自己犠牲や奉仕のこころのある人間の良心に付け込み

搾取する。

色々とわかっている、それでもやるしかない。

返ってくるものが無くとも

本当の自分だけの自信と信念

自己超越

寂しい子供

仲間外れにされ子

居場所のない子

誰にも褒められないし

評価賞賛もない

仲間もいないが

やり抜くしかない

やってやる

孤立と闘い続ける勇者たちの物語

自己ケアとポジティブな環境構築

自暴自棄にならない

夜に考え込まない

他者と比較しない

自分を過度に責めない

無理に元気を装わない

過去の失敗にこだわらない

悪口が多い

すぐに嫉妬する

マイナス発言が多い

ずっと同じ人といる

情報収集をやりすぎる

思考の整理が出来ていない

周りの意見に流されすぎ

心のどこかで他人のせいにしている

考えすぎることの弊害

比較からくるストレス

孤独との葛藤

他人の目を気にしすぎる

見栄との戦い

期待に応えようとする過剰な努力

断れない性格

暇な時間が多い

恩着せがましい

失う恐怖や不安が強い

自信がないから束縛する

損得勘定で物事を判断する

愛情表現の仕方が分からない

すぐに過去のことを蒸し返す

 

感情を受け容れる

過去を手放す

自己ケアを行う

サポートを求める

ポジティブな環境を作る

新しい趣味や興味を見つける

毎日の瞑想やリラックス法を実践する

品性と知性を兼ね備えた人間関係

他者に認めてもらうことでしか自分が誰だかわからない。

脳が疲れているときは、不平不満が多くなり

悪口と愚痴も増える。

グラグラの状態で自分軸が

しっかりしていない状態だ。

こうしかない、こうしないといけない。

自己責任・自分で正当化しない。

イライラする、食べ物

仕事ができない

ヤル気にならない

楽しい気がしない

まあこんなもんだ。

とにかくちゃんと話ができる人に会う。

精神的にも経済的にもある程度自立している。

精神的にも経済的にも余裕がある。

常識がある。

最低限の品性・良心がある。

欲望と快楽を最低限コントロールできる

知性と判断力がある。

他者に依存し責任を押し付けない。

嘘をつかない・約束を破らない・悪口を言わない

敬意・尊重・感謝ができる。

ボロボロの中でも信じる力

自分の常識を他者も実践してくれると思うな。

こちらが相手のために無理をしても

相手はこちらのために虫をしてくれない。

どれだけ一生懸命しても

結果が出なければ感謝どころか

ボロカス言われるだけ。しかも、月謝も払ってないのに・・・

見返りはなし、報酬もなし。

身も心もボロボロになってまで

やる理由はただのエエカッコしの見栄っ張りなのか・・・

それとは違う崇高なものであってほしいが・・・

気の休まる時間もなしに20年くらいやってきた。

正しい理屈や理論じゃないものが

人間を動かすこともある

それを信じてもいいんじゃないかと

ぼくは思います。

むしろ、それしか信じられない。

お金が稼げない。

異性にもてない。

結婚できない。

友人・仲間がいない。

バカにされ見下され相手にされず蔑まれる

助けもない

そんな中でもやってこれたのは

何かしらの力である。

それに感謝し、信じる。

そして、いくら頑張って見人並みの

生活を手にできないのにも理由があると信じたい。

効率と無駄のバランス

大切なことを不要なものとして扱っていたことが良かったのか

悪かったのか?

苦行・禁欲をすることで成功できると思っていた。

酒を飲まない、たばこを吸わない、ギャンブル、異性などのドーパミン系を

罪悪の根源とする。

人と関わらない。贅沢はしない。

楽しいことや喜びを抑えることで

成長できると思っていた。

選択と集中することで何かの力を得られると

思っていた。それは全くもって間違っているわけではないが、

結果にこだわりすぎるため、高率を重視し無駄を省く

やり方である。

しかし、その無駄の中に重要なことがあったり

また、効率よくしているように見えて、

独りでやっているために全体的には効率が悪くなっている。

何にせよ、相手の気持ちを尊重し傷つかない。

喜んでもらう、安心してもらう。大丈夫と思ってもらう。

さすれば、相手は喜び自己肯定感をもって

うまくやれる。

独りはよくないのはわかっているが、

傷つけられるのも避けたい・・・

効率を追求する孤独のジレンマ