2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
言葉はその国の文化・風習を もとに理解しないといけないのではないか? ひもすがら膏雨ふりけり夏はじめ 117ー100ー91ー
継続できるだけでもそれなりに 何かはできるはずではないか? 星空の光輝く花火あり 145+114+104+
人間関係や環境に振り回されているようでは、 己を確立できていないのではないか? 風鈴の流れにまかす風調べ 139+109ー93+
読書をするには原文の方が良い?梅雨ぐもり暑さと湿り夏の朝
つつましく自分のできる限り 最善をつくすことのできる者は どれだけ有名でなく、社会的地位がなくとも 「力なきもの」ではないのではなかろうか? 正午過ぎ雨のにおいと濡れた風 127-111ー89ー
欲望に従うのが本能、 環境に怖れや不安、恐怖や怯えに従うのが理性。 どちらも自由意志がないのか? ちりりりん風の便りと夏の山 143+124+95ー
人に貢献するには、二通りあると思う。 積極的に援助することと、消極的に迷惑をかけないこと。 どちらにせよ、相手にとって良いか悪いかを考えることが 大切ではなかろうか? 茂みよりぬけだし見れば晴天や 136+ 121+ 107+
耐えるとは、いつまでのことなのか? 朝の風少し寒いな夏布団 130+ 113+ 97+
人間安らげる場所があれば、 それで幸せなのではなかろうか? 夏至の朝光差し込み夜が明ける 129+ 104ー 95+
楽しみと快楽の違いは何であるのか? 楽しみの一部として快楽は存在するのか? 昼下がりつゆにぬれつつ額の花
何事においても前向きさは、必要不可欠である。 ただし、それと同時に慎重さも必要ではなかろうか? 雨音でリズムとりつつ朝支度
光と影の関係と同じで、何かを知れば知るほど 同時に知らないことも増えているのでないか? 霧かかる山を眺める梅雨寒し 116+ 116+ 82ー
何をもっていやしとするかは、 人それぞれかも? 朝露をふくみて育つあじさいや 103- 103- 96-
何にせよ気持ちが前向きになれるのであれば それをうれしいことと言ってもさしつかえないではなかろうか? 青田風山よりみえし緑色 151+ 117+ 114+
身の程をわきまえて、自分の力量に 合った努力をすることではなかろうか? 川辺にて雨降り終えた風の音 135- 113- 97+
最小のリスクの状態のなかで 最大の結果を出すのは理想論か?水辺にて光あつめし螢かな
使う言葉で人間性が安っぽく 見えるのはなぜだろう? 轟音で水田満たす緑雨かな
迷惑をかけない生き方とは いかなるものか? 気を遣いすぎる無理が出る。 自分の中に閉じこもっても寂しくなる。 調節が難しいのだろうか? 雨空を健気におよぐ夏つばめ
「自分だけのことを考えるな」という言葉を耳にすることがある。 もちろん大切なことであるが、自分に余裕がないときは、 まずは自分のことを考えるところからでも良いのではないか? 通い路に繁り始める夏草や 145 120 92
弱いから大人になれないのか? おとなになれないから弱いのか? 成功してないから失敗するのか? 失敗するから成功しないのか? 進まなければわからないのか? 水の音ふりむきみれば風薫る 157 124 88
人と交わるには余裕がいる。 余裕をつくるためには人と交わらなければいけない。 二反背律? 万緑の風に揺らめく木漏れ日や 122 107 95
教えるとはよく物事を知らないとできない。 よく物事を知ることは、難しい。 よって、一緒に考えるくらいしかできないのではないか? 水田に早乙女並ぶ朝の風 119 64 94
自分が欲しているものを他者が所有しているのを みると、羨む気持ちが出てくる。 では、欲を減らせばうらやむ気持ちも減少するのか? 133 110 96 あぜ道で空色区切るうゑたかな
自分のできることはわからない。しかし、無理をしていることは なんとなくわかる。少し、無理をしてるなとわかるくらいが 最善ではないのか? いちめんの水面にはえるういのなえ 130 99 90
本当によくみることはむずかしい。大切なことは自分には思い込みや、決めつけがあってものごとを見ていることを認識していることではなかろうか?ロ 147 E93 百 93晴天に朝露ひかる芒種かな
不平・不満・愚痴・悪口を言うのは、楽をしている 自分を正当化するためである。他者に責任を押し付け 、自分の環境や過去の失敗を理由に行動することを避け 、傷つかないところに自分を居座らせたいのか?
人間が理解できる範囲は限られている。 そのことをわきまえずに、疑いもなく全てをコントロールできると 思い込むのはいかがなものか? その者は、おそらく狭い世界の中でしか 生きていないのではなかろうか?
何事においても理屈をつけることができる。 しかし、それはひとつではない。そして、複雑だ。つまりは、短絡的で視野の狭い理屈で自己正当化するより、不安定な状態に慣れることの方が大切なのでは?
かざらない優しさ、自然のぬくもり、代価なき行動。このようなものにふれたとき、うれしさを感じないだろうか?