より望ましい自分?

・社会的地位が保障された仕事があり、所得が安定し余裕がある。

・友人・仲間から慕われ尊敬されている。

・家族に恵まれて楽しい毎日を送る。

・財(家・車・衣服)などに恵まれている

・安心、安全で幸せな毎日。

これが一般的な理想の生活であろう。食欲、性欲などの生理的欲求(一次的欲求)、名誉や金銭、所有欲などの社会的欲求(二次的欲求)が満たされ幸せな日々であろう。環境と自分の欲求の両方を作りかえながら、パーソナリティを形成し、自分の個性を生かしつつ、周囲から認められるといった成功体験を重ねる。望ましいことだ。

 しかし、これらは自己中心的で傲慢になり慢心により獲得した自己欺瞞である。資本主義社会における成功は、他者を出し抜き蹴落として、環境を自分の都合の良いように変えることで成り立っている。どれだけ卑怯で下劣な手段を使っても他者の気持ちや行動、考えなどをコントロールし自分の利益だけを考える。仕事においては、他者から奪う。環境においては、邪魔なものを排除する。そして、その対象を悪とし攻撃することで、罪悪感・羞恥心から逃れられ良心が傷つかない。むしろ自分勝手な正義を執行することで優越感にすら浸っている。つまりはすべての人間ができることではなく、一部の運のいい人間にのみ与えられる恩恵でしかない。

 このような人間は、中身はカラッポである。常に外部に依存することで自分を認識している。それを自我と勘違いしている。ただの我儘である。他者を利用して支配しているだけである。その我儘が通用する環境でのみ生きていける。つまりは本当の自分ではないのだ。これらを本当の自分として正当化し合理化して、一生自己欺瞞していられるならいいが、そううまくいくかは誰にもわからない。不安・劣等感・焦燥感・苦痛がないだけである。

 では、真に望ましい自己とは何かというと。身の程をわきまえて、そこから必要なもの、できることをやっていく。卑屈にならず尊厳を持つ。現実と向き合い環境と自分のバランスを考え適応させる。対人関係での相手の期待や要求、社会的な規範(法・道徳・慣習)などの環境に、個人が持つ欲求を適合させるというのは、不可能であることを認識する。限界を知ったうえで最善を尽くすのが妥当であろう。困難は避けられないのでうまく向き合う方法を身につけていくことである。