青年期はどのような時期か?

 結論から言えば「自我に目覚める時期」であろう。

自分の思う自分、他人から見られた自分を意識すること。

 しかし、今の時代、20歳前後でそのようなことができるかは、疑問である。

市民革命や産業革命の前の身分制の時代であれば、自分の地位が

生まれた時点で確定しており、それを受け容れるだけで良かった。

よってそこに帰属することで、そこにおける生き方、生きる目的、

人生についての見方や考え方が身についた。世界観も身の周りのものに合わせて形成されていた。それにより好んで手に入れたのではなくとも自我を形成することができた。

 だが、職業選択の自由がそれらを複雑にし難解なものにしている。

まず、安定して帰属できる居場所がない。仕事においては、終身雇用が崩壊し、転職するのが当たり前。人間関係においても、「人身は常ならず」SNSの普及に伴い複雑怪奇である。仕事においては適応障害になり、人間関係においては共依存の関係になる。

 そんなところで、自我など形成できるはずがない。かりにそれっぽいものがあったとしても、わがままが通用するコミューンのボスになるか。かけがいないもといって自己欺瞞、自己正当化することでだましだましやっているかのどちらかだ。カルト宗教にはまったり、ワーカーホリックになったりする。これらはいずれも外部に依存した考え方であって本来の自我とは言えない。

 では本来の自我とは、いかがなものかというと「自己の内部に帰属する」ことであろう。つまりは環境・人間関係などの影響をうまく自分なりに処理することである。そこにおいては、人と違うことを考え行動しなければならないときもあるので「孤独と不安」がついてくるが、それらの苦労・困難を乗り越えたのちに「自我の獲得」ができる。よって、時間と労力をかけなければ自我などというものは手に入らない。

 だから、青年期にできることは「自我の獲得」ではなく「自我の目覚め」である。たとえるならば、芽が出る時期であってそれをどのように育てるかは本人次第である。